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『マタイ福音書』及び『マルコ福音書』から、イエスにはヤコブ、ヨセフ、シモン(シメオン)、ユダ及び妹2人がいたことが分かる。彼等の位置づけについては、キリスト教会間では意見が分かれる。 マルコ6 3 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。 プロテスタントの解釈 プロテスタント教会では文字通りに、ヨセフとマリアとの間の子供と見做している。つまり、マリアは処女懐妊した後、ヨセフとの間にイエスの弟と妹を設けたという解釈である。 正教会の解釈 正教会はヨセフが先妻との間にもうけた子供たちであると見做している。新約聖書外典である『ヤコブ原福音書』にその要素が見出される。但し、正教会は自らの解釈を伝承に由来するものであるとし、外典を根拠としている訳ではない。 カトリック教会の解釈 カトリック教会では、古代ユダヤ社会では「兄弟」と言う言葉は同時に「従兄弟」も意味すると解釈し、更にエウセビオスが『教会史』に引用する、ヤコブ殉教後にヨセフの兄弟・クロパの息子であるシメオンがその後を継いだとするヘゲシップスの記事に注目し、「イエスの兄弟」を「イエスの叔父クロパの息子たち」と見做している。 加えて、アルファイとクロパは意味を同じとすることから、「イエスの兄弟ヤコブ」が、12使徒の一人である「アルファイの子ヤコブ」と同一人物とされると考えている。又、同じく12使徒の一人である「熱心党のシモン」、「ユダ・タダイ」とも語呂が一致することから、彼等も「イエスの兄弟」と同一人物であると見做している。 https //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%85%84%E5%BC%9F
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【作品名】唯一神又吉イエス 【名前】又吉イエス 【大きさ】普段は人並みの成人男子くらいの容姿で現れるが真の姿は全てを内包した存在で限りが無い 全世界・全宇宙・全次元にある全ての存在は彼の一部に過ぎない。 【攻撃力】最低でも多元宇宙内包大規模上位階層無限個内包上位階層を更に内包した階層を更に内包した階層を それまた更に内包した(以下略、×5000恆河沙)くらいの階層は鼻毛だけで消し飛ばせる 【防御力】多元宇宙を一撃で消し去る攻撃をくらってもマッサージくらいにしか感じない 【素早さ】時間・空間という概念がない為、あらゆる宇宙・世界・次元のあらゆる時代のあらゆる場所に移動が可能 【備考】作り出そうと思えば具現化し何でも創造できるし 消えろと思えば何でも消せるが、非常に過激な性格のため わざわざ「腹を切って氏ね」と消したい相手に対し自害を命令する。 もちろん唯一神なだけに彼に逆らえる存在はいないので命令された側は切腹せざるを得ない。 しかも自害するだけでは飽き足らず死後、その者の魂を地獄の火の中に 放り込むという、とても厳しく凶悪で我侭なお方。 たとえ死や消滅の概念がない存在に対しても因果律を弄繰り回して無理矢理、死ねる存在に 作り変えてしまう。 でも、その我侭なせいで人望はなくなってしまい次回唯一神選挙で小泉神に敗退するばかりか 下っ端の秀吉神にも投票で負けてしまう。 ◆考察記録--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 122 名前:格無しさん 投稿日:2006/04/28(金) 13 42 11 又吉イエス……SSランク。病原体Xを防ぐ手をもっていないのでその真下。 101◆n0qGxROT0Q 2022/06/29(水) 21 22 12.68ID eflbDroL 又吉イエス再考察 5000恆河沙常時全能程度なので下がる 安田盤次郎(色違い)より下は階層差で勝ち パーマパイオニアは遅いのでそのうち自滅して勝ち 東西ドイツ在住は階層差的に負けだろう 東ドイツ在住 >又吉イエス>パーマパイオニア
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映画『パッション』(2004年)より ゲツセマネの祈りの後、ユダに売られたイエスが逮捕される場面である。 マルコ14 43-52 さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。人々は、イエスに手をかけて捕らえた。 居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」 弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。 マタイ26 47-56 イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。 そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」またそのとき、群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」 このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。 ルカ福音書では、イエスは右耳を切り落とされた大司祭の手下を癒している。 ルカ22 47-53 イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた。イエスは、「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」と言われた。 イエスの周りにいた人々は事の成り行きを見て取り、「主よ、剣で切りつけましょうか」と言った。そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした。そこでイエスは、「やめなさい。もうそれでよい」と言い、その耳に触れていやされた。それからイエスは、押し寄せて来た祭司長、神殿守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。」 ヨハネ18 1-12 こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。 シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」
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イエスキリスト(イエス・キリスト) イエスの別名。
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イエスの顕現について最も初めに触れられているのはパウロ書簡のコリントの信徒への手紙一である。ケファとはシモン・ペトロのことである。また、ここで言及されている「聖書」とは旧約聖書のことであり、福音書はまだ存在していない。(Ⅰコリント15 3-8) 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。 他の全ての福音書はこれより後に書かれていることをまず留意したい。 マタイ福音書でのガリラヤでの顕現 マルコ福音書では、天使がイエスがガリラヤにいることを告げる場面で終わっている。一方、マタイ福音書では、天使の命令により弟子たちは実際にガリラヤへ向かい、そこで復活したイエスに会っている。そこでイエスが宣教について述べる場面で終わっている。(マタイ28 16-20) さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(終) しかしこれはパウロ書簡の内容にも反しているし、後述するルカ福音書やヨハネ福音書の内容とも合致しない。 ルカ福音書でのエルサレム周囲での顕現 ルカ福音書では、まず、エマオという村へ向かっていた二人の弟子の元にイエスは顕現している。(ルカ24 13-32) ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。 その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。 その後、二人の弟子がエルサレムに戻ったところで、十一人の使徒たちとその仲間の元にイエスが顕現し、魚を食べて見せた。(ルカ24 33-43) そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。 そして弟子たちに復活について説教を始めた。(ルカ24 44-50) イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」 ヨハネ福音書での3度の顕現 ヨハネ福音書では、(おそらくはエルサレムにある)弟子たちの家の前にイエスが顕現した。これが一回目の顕現である。(ヨハネ20 19-23) その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」 中でも、使徒トマスが疑い深く、イエスの顕現を信じていなかったことが細かく書かされている。トマスの前に現れたのが二回目の顕現である。(ヨハネ20 24-29) 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 さらに、三回目にティベリアス湖畔で顕現した時には、二回目の大漁の奇跡を見せている。 ヨハネ21 1-14 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。 イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。 イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされたイエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。 その後、ペトロは三度主を知らないと言ったこと(ペトロの否認)に対応して、今度はイエスがペトロに「私を愛しているか」と三度尋ねる。 ヨハネ21 15-19 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。 マルコ福音書の終結部 なお、マルコの福音書には、ルカ、ヨハネ、マタイの順に他の福音書の内容をまとめた記載があるが、後世の加筆と考えられている。(マルコ16 12-18) 〔(マグダラのマリアが弟子たちにイエスの顕現を報告した)その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。 その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。 それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」〕
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バルイエス 聖書『使徒行伝』に登場する偽予言者。 ユダヤ人の魔術師。
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十字架への道 イエスは始め、自ら十字架を背負っていたが、途中で力つきたため、ローマ兵士たちはキレネ人シモンに無理に担がせた。 イエスの死を見届けた女たちも参照されたい。 マルコ15 21-24 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。 そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。 それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、 その服を分け合った、 だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。 マタイ27 32-34 兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。 そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。 ルカ23 26-32 人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。 「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。そのとき、 人々は山に向かっては、 『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、 丘に向かっては、 『我々を覆ってくれ』と言い始める。 『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」 ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。 ヨハネ19 17 イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。 イエスの磔刑と死後の奇跡 罪状書きには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書かれていた。この図では、上にラテン語、下にアラム語で書かれている。 このうち、ラテン語の IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM の頭文字をとって "INRI"となる。 イエスは他の二人の強盗と共に十字架につけられた。 マルコ15 25-41 イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。 また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。 昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。 また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。 マタイ27 35-56 彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。 折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。 さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。 そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。 またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。 ルカ23 33-49 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。 百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。 イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。 ヨハネ福音書のみ死後の奇跡の内容が異なり、ロンギヌスと俗に呼ばれる兵士がイエスを突き刺すと、血と水が流れたことが記されている。 ヨハネ福音書では、イエスの母マリア、マグダラのマリア、愛する弟子ヨハネがいたことになっている。 ヨハネ19 18-37 そこ(「されこうべの場所」、ヘブライ語でゴルゴダ)で、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。 ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。 兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、 「彼らはわたしの服を分け合い、 わたしの衣服のことでくじを引いた」 という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。 この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。 その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。 イエスが十字架の上で発した言葉は十字架上のキリストの最後の7つの言葉のようにまとめられている。 詩篇22篇 「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」の言葉は、詩篇22編の2節のことだとされている。また、イエスが「渇く」と言ったことと、兵士らがイエスの衣を分け合ったことは、詩篇22編の16節と19節の預言とされている。 詩編22 2 わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。 なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず 呻きも言葉も聞いてくださらないのか。 詩篇22 16-19 口は渇いて素焼きのかけらとなり 舌は上顎にはり付く。 あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。 犬どもがわたしを取り囲み さいなむ者が群がってわたしを囲み 獅子のようにわたしの手足を砕く。 骨が数えられる程になったわたしのからだを 彼らはさらしものにして眺め わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く。 詩篇31篇 ルカ福音書で最後にイエスが述べた「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」という言葉は、詩篇31編6節からの引用とされている。 詩編31 2-6 主よ、御もとに身を寄せます。 とこしえに恥に落とすことなく 恵みの御業によってわたしを助けてください。 あなたの耳をわたしに傾け 急いでわたしを救い出してください。 砦の岩、城塞となってお救いください。 あなたはわたしの大岩、わたしの砦。 御名にふさわしく、わたしを守り導き 隠された網に落ちたわたしを引き出してください。 あなたはわたしの砦。 まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。 わたしを贖ってください。 詩篇34篇 イエスの骨が一つも折られなかったのは、詩篇34 21の預言とされている。 詩編34 16-23 主は、従う人に目を注ぎ 助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。 主は悪を行う者に御顔を向け その名の記念を地上から絶たれる。 主は助けを求める人の叫びを聞き 苦難から常に彼らを助け出される。 主は打ち砕かれた心に近くいまし 悔いる霊を救ってくださる。 主に従う人には災いが重なるが 主はそのすべてから救い出し 骨の一本も損なわれることのないように 彼を守ってくださる。 主に逆らう者は災いに遭えば命を失い 主に従う人を憎む者は罪に定められる。 主はその僕の魂を贖ってくださる。 主を避けどころとする人は 罪に定められることがない。 ホセア書の預言 ルカ福音書で引用されているエルサレム陥落の預言である。 ホセア書10 8 アベンの聖なる高台 このイスラエルの罪は破壊され 茨とあざみがその祭壇の周りに生い茂る。 そのとき、彼らは山に向かい 「我々を覆い隠せ」 丘に向かっては 「我々の上に崩れ落ちよ」と叫ぶ。 参考 中川健一 十字架の言葉